冨永昌敬 (映画監督)
いまおかしんじ (映画監督)
この先もずっとこのままだろうか、シンドイな、ツライなと思ってた頃に見たんで、このままじゃないよ、どこかでとんでもないことが起こるよと言われた気がして、涙が出るほどホッとしました。
山本政志 (映画監督)
映画史上最もいたたまれない3人のオッさんの魅力にハマっていきつつ、気が付けば、不思議な可笑しさに彩られた永山ワールドにどっぷり。終盤、こじんまりまとまらず、あえて拡散させて行く姿勢に、ここで立ち止まらず、さらなる新世界を目指す清々しい姿勢を感じた。こっちのマサシも、かなりイイ!
柳下毅一郎 (映画評論家)
“釣りバカ”川瀬陽太を中心に、 わちゃわちゃとはしゃぎまわる三馬鹿トリオのおっさんたちがバカバカしくも可愛らしい。
『天然☆生活』 はおっさんのアイドル性を発見する映画である。おっさんたちこそ、 過呼吸になるほど追い込まれなければならない少女なんかより、 はるかにナチュラルに可愛いアイドルなのかもしれない。
高橋ヨシキ (デザイナー / 映画評論家)
映画が現実を上書きすることはないが、映画で描かれる虚構はしばしば観る者の心を上書きするーーしばしば、と保留つきにしなくてはならないのは、雛鳥のように大口を開けてそこに突っ込まれるものを消費するだけの存在であり続けるよう観客に強いる作品があるからであり、それをあたかも自明であるかのごとく疑問を抱かないよう「しつけられた」観客もまた存在するからだが、嘆くひまがあったらボンゴでも叩いていた方がいいに決まっている。さてフィクションがそのような心的な作用を通じて現実に影響を及ぼすものであるとすれば、いわゆる自然主義的なアプローチと表現主義がだまし絵の地と図のように入れ替わる『天然☆生活』が、虚構の持つ力に対してどこまでも誠実な作品であることは明白だ。薄っぺらいリアリズムなど、虚構の持つ果てしない可能性の前にまったく無力である。劇場に轟く怒りのボンゴの音色は、観客の脳髄に直接語りかけているのだ。内的な真実は虚構によってのみ伝えられ得るのだと。
てらさわホーク (映画ライター)
都会の人間が田舎で酷い目に遭う映画はいくつも観てきた。ところが今回は都会から闖入したドス黒い(当人がそう意識していないところがまた恐ろしい)意思が、田舎を侵食していく。「田舎は怖い」……観客のそんな刷り込みを『天然☆生活』は覆す。しかしいずれ都会か田舎かという単純な対立構造を完全に超え、素面では説明不能なもの凄い展開を見せ始めるところに作品の真のヤバさがある。間抜けだが魅力的な登場人物の行状に微笑んだり爆笑したり、あるいはゾッとしたりしているうちに物語は予想のつかない方向へ進むが、さらにまったく想像の及ばなかったエンディングを叩きつけられたあとには思わず放心状態でへたり込むことになる。そしていますぐもう一度観たいと思うのである。
切通理作 (映画監督 / 評論家)
決してイケメンでも若くもないおっさんたちがはしゃぐ姿は愛らしい。
おっさんの持つ、行く当てのない優しさにこそ、いま目を向けるべきだと教えてくれる。
何度も滅ぼされ、報われない最後を迎えても、にこごりのようなおっさんのエキスが、世界の乾燥を食い止めるのだ。
佐藤二朗 (俳優)
自由だ。なにしろ自由だ。改めて、モノを創ることは、「自由でいる」ことなんだと思った。
だからこの作品は、あらゆるしがらみに縛りつけられた全ての人への応援歌になりうる。
渋川清彦 (俳優)
川瀬さんは先輩なんですけど、友達と言えるような人で、魅力的なジャケの川瀬さんがでているので『天然☆生活』を見に行きました。初見、酒を呑んでから見に行き途中で寝てしまい、起きたら川瀬さんの色が変わり始めた。衝撃。
再見、ユーモアのセンスと風刺と反骨。やはり衝撃。静かな怒りと歪みのボンゴが炸裂。そして爆裂。ソーシャルディストーション。最高に好きだ。
田中要次 (俳優)
手抜きのない変な映画の殿堂入りした事は間違いない。
しじみ (俳優)
開始1分で心掴まれる!好き!
全おっさんに捧ぐ応援歌!
おっさんの逆襲!おっさんに幸あれ!
おっさんずラブが流行ってると聞きましたが、正真正銘ただのおっさん3人組がひたすら楽しそうに暮らしてるのを観るってのも、いやこれこそ、おっさんずラブなんじゃないでしょうか。理想郷です。
高校の頃毎日遊んでいた地元の親友と「大人になったら一緒に住んで、ばばあになっても一緒に遊ぼうね」なんて事を話してたのを思い出しました。そんな事もう一生有り得ないのに。でも私がもっと立派なおばはんになった日には、いつか…!なんてね。
上鈴木伯周 (ラッパー)
映画好きなりに「ヤバいから絶対観て!」と勝手に啓蒙したくなる映画が年に数本ある。2017年は『スイス・アーミー・マン』、2018年は『ブリグズビー・ベア』、そして2019年は(今のところ)圧倒的に『天然☆生活』。これらには共通して、エクストリームな展開と、ユーモアと、確かなアンチ精神がある。『天然☆生活』は特に、そのバランスがとてもヒップ・ホップ的(と言ってしまおう)。パンクの熱さというよりも、どこか斜めに構えつつ、急所を一発のビートや言葉でえぐってくる斬れ味。と、多すぎる要素をサンプリングでのビートメイクよろしく一つに組み上げちゃう確かなスキルとインテリジェンス、がある。過去へのオマージュもある(松竹映画的オープニング)。そんなヒップ・ホップ的バランスでもって時にひっそり、時に直接的に放たれる『天然☆生活』のリズムとリリックは、説教臭くなく、いつの間にか僕を心身ともに踊らせていた。笑って和んで驚いて少し泣いた鑑賞後、僕は「ちゃんと人生を生きよう」そして「他人の人生を尊重しよう」とシンプルに強く思えた。そうしないとボンゴが鳴り響いちゃうから。
良い映画は人生の教訓を教えてくれる。「観ないとボンゴが鳴り響くよ!」とまでは強制しないけど(他人は尊重しよう)、ボケた人生を正してくれる刺激が本作にはある。「ヤバい」だけで収まらない、永山監督の熱いヴァイブスと確かなスキルとメッセージ。毒になるか薬になるか。多くの人に浴びてもらいたい大傑作でした!最後はラップで締めます。
おっさん3人が住む田舎は 静寂
移り住む田舎信仰の家族は 迷惑
ぶつかり合いにじむ本当の 性格
全ては混沌となり最終的に 併殺
人々の人生はそれぞれに 聖なる
ものと教えてくれる『天然☆生活』
人生を折り返した田舎のおじさんって、年齢を逆行するようにナチュラル(天然)になりアイドルに見えてくるんだなぁ、という発見あり。キャスト陣、全員最高!!
Ariel Esteban Cayer
(ファンタジア国際映画祭ディレクター)
完全にこの映画にやられてしまった。喜劇、悲劇、そして不条理をまるでジャグリングするかのように操る手法は賞賛に値する。また物語終盤のファンタスティックな描写を目にした時の喜びはとても大きい。
私は『天然☆生活』の面白さを保証します。
映画のトーンとキャラクターをしっかりと掴んだ語り口、そして最も心を打ったのは、この映画が現代日本に対する強烈な風刺であるということだ。
吉田靖直 (トリプルファイヤー)
舞台となっている町の田舎度合いが地元と近くて他人事とは思えない。友人の釣り堀で気楽に働くおっさんを見て羨ましくなった。私も昔はもっと野心とか向上心が強かったのだが、歳を取るほどにその辺がなあなあになってきている。それがいいのか悪いのかまだ折り合いが付いていない。無欲の境地に近づいているとも言えるが、単なる堕落だとも言える。
しかし今後、理想の生き方の1つのサンプルとして、この映画の中でじゃれあうダメなおっさんたちの姿を何度も思い出すことにはなるだろう。
大和イチロウ
(インスタントラーメン専門店やかん亭)
自由に食せるしあわせ。好きな時、好きな場所で食べるインスタントラーメンは、最高のごちそうで自由の象徴。親の理想を演じてきた少女の葛藤が、主人公である独身中年男が食べるインスタントラーメンに触発される。インスタントラーメンが登場人物の心情を見事に印象的かつエモーショナルに描いている初めての映画ではないだろうか?
クライマックスで少女が食べるそれに刮目せよ!この映画を観終わった後、あなたは必ず食べたくなる。その光を求めて。ボクもおいしくいただきました!
川村夕祈子 (キネマ旬報)
叔父の介護をしながら釣り堀を営む50歳の独身男性タカシ。そこへ、田舎町でカフェを開こうとする家族がやってくる。スローなライフを標榜する笑顔が素敵な人当たりのいい彼らは、タカシが居候する茅葺屋根の家に目をつけると、目的のためには手段を選ばず、タカシや友人たちの生活を脅かす。ネタバレはしないが、もちろんタカシは闘うさ。そしてスゴイことになる。静かな人が怒ったら怖いんだ!衝撃のラストだ。
永山監督は、前作『トータスの旅』もどこか日本映画離れしていて、この新作もカウリスマキやクストリッツァ、イオセリアーニの匂いがした。人を地位や名誉で見ず、動物とも区別しない。実直に生きる者には相応の報いがあり(かといって過剰に讃えない)、そんな人を無意識に侵す建前重視の人や世は看過しない。真っ当な人のパンチは強烈だ。 (キネマ旬報2月下旬号掲載)
これは日本の『ブルーベルベット』か。。。
野性と洗練と気遣いの男・川瀬陽太の真骨頂をつかみとった異形の人間ドラマに感動! 彼が決して名バイプレイヤーで済む俳優じゃないことをはっきり証明している。あの特徴的な、両肩が上下する歩き方を見るだけで映画を感じるし、彼ほど「生活」という語の似合う人はいない。
そして谷川昭一朗、鶴忠博、津田寛治がみんなド名演。人生に倦んでなお楽しく生きる男たちの危うさは、彼らが隣人に提供する死にかけの金魚やしなびた野菜や嘘寒い古民家喫茶の滑稽味と同じくらい、観客を衝き動かす栄養に満ちている。。。つまり永山監督のおじさん調教師ぶりに脱帽するしかないんですよ。
P-J Van Haecke
(臨床心理士 / Psycho Cinematography著者)
『天然☆生活』はコメディの手法としてスラップスティックの道を選ばないが、その代わり人間のコミュニケーションに内在する滑稽さと間抜けさを巧妙にあぶり出している。その結果、とても楽しく時に心温まる対話型コメディができあがるのだ。主人公のタカシが交わる二つのコミュニケーション(地元の旧友たちと、新しく移住してきた一家)の差異が喜劇の源となっている。
物語の楽しさがキャラクターたちの相互作用から生じるので、コメディは俳優たちのパフォーマンスによって支えられている。そしてそのパフォーマンスは私を失望させない。川瀬陽太は田舎で静かな生活を送るタカシをとても自然な状態で見せ、津田寛治と三枝奈都紀は、キャラクターの感情を流動的で自然なものとして見せることで、その才能を示している。
撮影は、実に楽しめる固定ショットと移動ショットで構成されている。そして時おり、日本の田舎の本当に美しいショットを見ることができる。カメラは物語の導入からタカシに寄り添い、共感を持って語られる。またタカシの主観は、いくつかのショットが持っている不安定な揺れによって力づけられ、彼の不快感を観客に共有させることに成功している。
『天然☆生活』は『トータスの旅』と比較して、よりスタンダードな映画撮影法を採用しているが、それでも永山監督の構成力を見ることができる。この才能を説明する一つの具体的な要素は、物語空間に時おり登場する単線列車の存在を強調する緻密な手法だ。物語を進めるのに重要ではない部分に、その秘密がある。この構成の才能は、物語のフレーミングに音楽を織り交ぜる方法からも顕著だ。
映画を通して呑気なトーンが持続するかのように見せて、物語は急激に恐怖と喜劇を混ぜ合わせた驚きの結末へと舵を切る。この急激な変化は、一見無意味なように思われるかもしれないが、しかしそれは明らかに福島のような原子力災害の影響への言及なのだ。この物語の変化は、現代社会の中で「自然である」ことが一体何を意味するのか、という根本的な疑問として読みとることができる。
『天然☆生活』は要するに、永山監督によるもう一つの素晴らしい物語だ。普通のコメディを彼の前に持ってくることによって、キャラクターたちの楽しい相互作用コメディができあがる。それは日本のコメディによく見られるオーバーアクトに頼ることのない、本当に素晴らしいパフォーマンスによって支えられている。しかしこの対話型コメディには、永山監督の前作が持っていた主題の明確さが欠けている。それにもかかわらず、普通の闘争から一見ナンセンスに思える程の脱線を決断した彼の語り口は非常に大胆であり、賞賛されなければならない。この映画を見たあなたの心には、クレジットが消えた後も長く荒廃が残るだろう。
だから、永山センセイ、どうか狂ったままでいてほしい。WE WANT MORE.
Josh Parmer
(BLOOD BROTHERS レビュアー)
永山正史監督は、2017年の前作 『トータスの旅』で私を完全に驚嘆させた。私のその年のベスト日本映画リストはその時点でかなり具体的に決まっていたが、『トータスの旅』を見たことによって乱れ、ベスト5に食い込むことになった。そして今年、新進気鋭の監督が新作の映画を完成させたことを知ったとき、私は興奮した。
物語の主人公タカシ(川瀬陽太)は、叔父の家に居候する無職で呑気な性格の男だ。叔父が亡くなりその家の長男、ミツアキ(谷川昭一朗)が帰ってくる。ミツアキはタカシが無職であることを知ると、彼を追い出さず、父から継いだ釣り堀での仕事を与える。
タカシはとてもシンプルな新生活に幸せを見出し、満たされているように見えたが、都会からある一家が引っ越してくるとその暮らしは一変してしまう。一家は自然食がメニューのカフェ開業を目指し、タカシの住む古民家に目を付ける。
物語をジェットコースターに例えるなら、それは奇妙で滑稽なスタートをして、最終的にコースターはレールから完全に外れてしまう。面白いと思う人も、ついていけないと思う人もいるかもしれない。私はこの乗車全体を笑って楽しんだ。
私は永山監督の前作の方をわずかに好むが、それでもこの映画を愛するポイントはたくさんある。まずは前作同様、撮影は完璧にゴージャスで、ほぼすべてのフレームが美しい写真のように見える。カラーパレット、そして各ショットでのフレーミングは目にとってのごちそうだ。一つ確かなことは、永山監督は素晴らしい視覚的な目を持っているということだ。
全体を通して音楽も素晴らしく、音によって物語を紡ぐこととコメディを紡ぐことを同列に捉えている。
またキャラクターは非常に印象的で、よく描写されていて、それぞれは小さいが弧を描くような相互作用によって肉付けされている。
三人の主要キャラクターは互いに完璧なケミストリーを共有し、小さなドラマであっても物事が起こるときに影響を与え合っている。
ここにはあらゆる種類のコメディ(呑気な、ダークな、肉体的な、視覚的なギャグ等々)がある。いくつかの瞬間は完璧に動作するが、名将にも失敗はある。ほとんどの場合、私は笑うのを止めることができなかったが、ある瞬間は少しフラットに落ちついた(全体的な映画体験にダメージを与える程ではない)。
そしてこの映画には職人技によって込められた、たくさんの心がある。最終的な映画の姿がそのことを示す。これは愛の全集だ。
永山監督は、今日日本で活動している最も独創的な作り手の一人であることは明らかだ。 わずか二本の長編で、彼独自のスタイルとユーモアを確立している。彼が次にどこに向かおうとも、私はそこに行くだろう。『天然☆生活』は、今年見られる最も奇妙な映画の一つであり、いずれたくさんの観客によって発見されるだろう。適量のハートウォーミング、適量の流血を伴って。
Theo Radomski
(イラストレーター / mobtreal.com ライター)
田舎に住む優しい男の人生は、大都会から来る野心的な一家によって翻弄される……がしかし、侵略者たちの未来には劇的で恐ろしい因果応報が待っているのだ! それは控えめに言って劇的で恐ろしい、という意味だ。
誰かに好きな映画を奨めることがあると思うが、この映画は「ゆっくり燃えるけど、一度火がついたら……僕を信じて、最高だから!」もしくは、「詳しくは話せないんだけど……でも信じて、最後まで見て!」と言葉を付け加えたくなる、『天然☆生活』はそんな映画だ。
映画の上映前、ファンタジア映画祭のプログラマーは観客に警告をした。これは型にはまらない映画で、のんびり待っていると、ラストに向かって非常に"ファンタスティック"な光景を目にすることになる、と。事実、この映画はザ・ファンタスティックと言える映画だった。マルチジャンルで、ファッキン奇妙キテレツで、中盤まで自分がなぜこの映画を見ているのか、どこに向かっているか分からない。最後まで見るようにと警告された。だからそうした。そして、言われた通り最後まで見た自分を今はとても褒めてやりたい!
ネタバレは極力避けたいが、どうしても避けられないこともある(これから先の文章は、曖昧ではあるが、気になる人にとっては多少のネタバレを含む)。
まずこの映画全体のセールスポイントは、少なくとも私にとってはトーンの変化だということを明確にしておきたい。第一幕から第二幕の変化はとても大きいが、第二幕から第三幕の変化は、それを遥かに超えるものだ。滑稽で呑気にスタートし、次に重く深刻になり、と思ったら奇妙でバカバカしくなり、そして遂に80年代スプラッターで画面が一杯になるのだ。それは私がこれまでに長く見てきたどの映画にも似ていない、現代日本を通して語られる都市VS田舎の素晴らしい風刺だ。
そう、トーンシフトについて語ろう。第一印象は、ボンゴが好きでヌードルをすする紳士、タカシが年老いた叔父を介護するチャーミングなドラマだ。彼は身内にも見知らぬ人にも優しい、聖人のような男だ。よくケンカをする友人たちの仲裁人としての存在でもあり、決して意地悪な人間として描写されない。居候している田舎の茅葺古民家でのラブリーな暮らしが描かれる。
古民家カフェ開業を夢見るクセの強いファミリー(夫婦といたずら娘)が都会からやって来て、タカシの住む家に狙いを定める。残念ながら、それは彼らのヴァイブスに合う物件なのだ。そして彼らは夢のためにできることなら、なんでも実行する。それはコウモリのクソほどクレイジーになっていく時間だ。ショッキングな○○殺害。反逆。嘘の告白。燃えるように白熱する復讐。そして衝撃的なゴア。
これは私が思い描いていた映画ではなかった。何を期待すべきか正直分からなかったが、とにかく違ったのだ。しかしそれは、今までで最も素晴らしい体験の一つになった。特にクライマックスから終わりにかけて、完全に不意打ちを食らった。それは突飛に見えるが意味のあることで、実は物事はセットアップ済みだったのだ。そこに向かう言及やヒントは提示されている。
好感の持てるキャラクターが苦境に陥りながらも、初めから一貫して本質を失わないということが、本当に好きなポイントだ。忠誠心と友情、思いやり、善悪を問うテーマ。それらはすべて含まれている。
観客は終盤にかけて少し混乱しているように見えたが、物語が思い切った変化をしようとも、作り手はタカシが持つ理想のコアの部分を守り続けていると私は感じた。彼は試練を通して確かに変化するが、もっと大事なことは、それでも彼が優しい聖人のような人柄を保つということなのだ。そう、曖昧なネタバレと前述した通り、少しこれは抽象的な文章だったかもしれない。つまり、この映画はどうしても実際に見て経験する必要があるのだ。
これが不調和な映画かって? イエス、極めて不調和な映画です。『ブレインデッド』や『ヘレディタリー』から出てきたようなイメージだってある。ホラーの観点から見れば、二つの極端なものであり、この映画はその域を超えている。エンドクレジットでさえ、観客の期待に応えるもので、その並置は完璧だった。
間違えないでほしい。この映画は奇妙でバカげた瞬間を含む、ダークな風刺だ。何度か私は、おっさんが走り回って"ただそこへ行った"ことに困惑して頭を振り、素晴らしく気まずい瞬間を作るキャラクターに肝を冷やし、純粋な狂気とスプラッターに拍手を送った。
これは奇妙で万人向けの映画ではないが、現代東京VSシンプル田舎生活という確かに興味深い考察を観客に与えるだろう。
とても数少ない映画だけが、見ている途中で私の姿勢を変えて、ファンになるように仕向けることができる。この映画は素晴らしく不条理な手段によって、私をファンにさせた。
イエス、これは間違いなくファンタスティックな映画で、私はまだ受けたダメージの治療中である。
Mathieu Li-Goyette
(panorama-cinema 編集長 / モントリオール大学講師)
『天然☆生活』は、日本のジェントリフィケーション(階級浄化)を扱った放射性の危険な風刺劇である。
物語は無職でボンゴ好きのタカシに寄り添い進行し、居心地が良く、美しい自然が残る田舎の小さなコミュニティが描かれる。タカシに並列するキャラクターは、怒りっぽいが陽気な食料雑貨品店を営む友人と、家業の釣り堀を継ぐために離婚し、帰郷してきたタカシの従兄弟がいる。映画の最初のパートは、この三人が友情を取り戻し、楽しく一緒に働く様子を通して安定して描かれる。
孤立と排除から逃れ、彼らは山の中のバーベキュー(安い肉、おそらく放射性の)や、ボール遊びの中に慰めを見つける。
永山監督の演出は、この種の主題に予想される過剰さを避け、悲しみや涙をフレームの中から外している(小津のように、人物の退出は彼らの不在を通して示され、友好的な関係性は機能不全の家族関係と比較して構成される)。
“自然に生きる” というタイトルが示すのは、人間の二つの側面である。
タカシは自身の自然性について完全に無自覚であり、また他者には決して干渉しない。その一方、都会から来た自然派ファミリーは自分たちに自然であることを積極的に課し、また周囲に対しても自然であることを求めるのである。
100%オーガニックなカフェを田舎で営むことを目的に、東京からある一家が引っ越してくると、タカシの生活は一変する。一家の両親は食品添加物を嫌い、カップラーメンや不自然なことすべてを恐れている。彼らが田舎へ干渉していく間にも、この地域には放射能の兆候が示され、映画は水面下で風刺を続ける(福島で撮影されてはいないが、事実、これは福島だけの問題ではない)。
物語の後半、カメラが人工池の中の金魚を映し出すと、そこに小さなガイガーカウンターの音が聞こえてきて……
一家の娘の陰謀がタカシに向かう時、静かなボンゴプレイヤーの営みは終焉を迎える。日本の中で救済を求めてさまよう筋書きは、長閑な物語にはならない。作り手の批評精神の中心にあるのは、牧歌的な田舎と都会の相互作用として形成される、日本の共同体意識の低下である(なぜなら、その意識と生き方のもとに、放射能の危険は続くのだから)。
永山監督は、政治的に重要な風刺を持って、この社会を構成する固定概念に一太刀を浴びせる。つまりこれは、天才が持つ勇気で語られる映画である。